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コラム

7月2日はうどんの日

2020年7月2日

さぬきうどんで有名な香川県の生麺事業協同組合(現・本場さぬきうどん協同組合)が、うどんの消費拡大を目指して、1980(昭和55)年に7月2日を「うどんの日」に制定しました。

日付は、香川県地方の農家では田植えや麦刈りが終わり一段落する半夏生(はんげしょう)の頃に、うどんを食べて労をねぎらう習慣があったことに由来して、7月2日になりました。

うどんは、小麦粉を練って長く切った、ある程度の幅と太さを持つ麺、またはその料理で、手軽な庶民食、米食の代用食として、また、祝い事に際して振る舞われる「ハレ」の食物として、古くから日本全国で食べられてきました。
そして、現在では、うどん専門店のほか、蕎麦も並行して提供する店舗があるほか、外食チェーン店などのメニューともなっています。 また、麺のみの販売もスーパーマーケットなどで乾麺・茹で麺・生麺の状態で行われており、カップ麺としても多くのメーカーが多様な種類を販売しています。

うどんの発祥には以下のような様々な説があり、

・奈良時代に遣唐使によって中国から渡来した小麦粉の餡入りの団子菓子「混飩(こんとん)」に起源を求める説。青木正児の『饂飩の歴史』によれば、ワンタンに相当する中国語は「餛飩」(コントン)と書き、またこれを「餫飩」(ウントン、コントン)とも書き、これが同じ読み方の「温飩」(ウントン)という表記になり、これが「饂飩」(ウドン)となったとする説。

・平安時代に遣唐使として唐に渡った空海が饂飩を四国に伝えて讃岐うどんが誕生したという伝説。

・平安時代の989年、一条天皇が春日大社へ詣でた際に「はくたく」を食べたという『小右記』の記述から、発祥は奈良とする説

・1241(仁治2)年に宋から帰国した円爾(聖一国師)が製粉の技術を持ち帰り、「饂飩・蕎麦・饅頭」などの粉物食文化を広めたとする説。

・中国から渡来した切り麦が日本で独自に進化したものであるという説。奥村彪生によれば、麵を加熱して付け汁で食するものは中国には無く、日本の平安時代の文献にあるコントンは肉の餡を小麦の皮で包んだもので、うどんとは別物であり、うどんを表現する表記の文献初出は南北朝時代の「ウトム」であるとする説

・室町時代に記された『尺素往来』に「索麺は熱蒸し、截麦は冷濯い」という記述があり、截麦(切麦)が前身と考える説

というように諸説ありますが、いずれにせよ、現代の形の「うどん」は、江戸時代前期には全国的に普及して広く食べられるようになっていました。

 


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